あの「はやぶさ」の映画
『おかえり。「はやぶさ」』の上映会が昨日でファイナルでしたね。
全国でも珍しい
自主上映だった岡山上映。
「あの美しい映像と感動を、多くの人に…。」の気持ちでここまでやり遂げた上映プロジェクトチームの頑張りにも、なんだか「はやぶさ」帰還の物語に通じるものがあったように思えました。
ありがとうございました。ご苦労さまでした。
プラネタリウムの視界360°全方位から映し出される映像は、美しいの一言。
まるで「はやぶさ」と一緒に宇宙を旅しているかのような浮遊感ただよう心地よさ。
その空間に身を委ねていると、自分が「はやぶさ」になったような気持ちに、もしくはかわいい我が子を過酷な旅に出した親のような気持ちになってしまうから不思議。
ここで思い起こされるのは、はやぶさプロジェクトマネージャ
川口 淳一郎さん(23日に、来られていたそうですね。)の
「はやぶさ」、そうまでして君は。(地球帰還目前に「はやぶさ」への想いを綴った文章です)
モノをつくる…ということに興味にある人ならば、きっと涙なくしては読めない、作り出したモノへの深い深い愛情が感じられる美しい文章です。
さて、「はやぶさ」=奇跡の図式は、帰還の物語そのものも含めて、様々なところで語られていますが、
わたしが「はやぶさ」に興味をもったのは、WEB上で盛り上がりを見せ始めた頃。
正直そこまでの思い入れはなかったのが、「はやぶさ」の到達地が「イトカワ」と知ったとき、「何!?イトカワ!?」と、突然スイッチオン!
イトカワといえは、”日本の宇宙工学の父”といわれ、第二次世界大戦時に名戦闘機「隼(はやぶさ)」を設計した糸川英夫博士のことでは!(物語としてできすぎじゃ〜!)
そう思った瞬間、断片的な糸川博士の記憶が一気に、つながり始めた!
高校の頃、糸川英夫博士が設計した”初の国産ロケット「ペンシルロケット」”(まさにペンシルサイズ)を知り、同じ時期にアメリカではアポロ計画が実行されていて、「今さらこんなロケット作る意味あるの?」と思ったことや、
仕事をし始めた頃に、「糸川博士の占星術」というソフトに関わる機会があって「”日本の宇宙工学の父”が占星術〜?うさんくさ〜。」と思ったこと、
そして何年か後に仕事で再び糸川博士の記事に出会う。「天才は階段を隠す」という名言とともに、糸川博士は実はバイオリンの名手で、”趣味が高じて”バイオリン製作をしてた、などという知識が、一瞬でつながり、鳥肌がたってしまいました。
バラバラだった知識が、まるで神の啓示のように一瞬で繋がって答えが出る、奇跡の瞬間がまれにあるんだけど、それが降りて来た!これこそ奇跡の瞬間。
でも奇跡はこのことじゃだけなかった。
いろいろ調べて行くうち、糸川博士は天才と奇人は紙一重的な超変人と広く認知されているけど、実は違う、ということがわかってきました。
敗戦後、航空機の生産が長い間禁止されていたとき、日本の航空技術力を消さない為に、懸命の努力をした結果が天才=変人=糸川博士像を生み出したということを。
宇宙工学の研究費を捻出するために、スピーカー研究を行い→その権威となり、
そのためにバイオリンを習得し→玄人はだしの名手と呼ばれ、
占星術の本を出版してベストセラーになり…。
政府の研究予算獲得のため、”糸川博士はバイオリンの演奏の合間に研究する天才”像を作りながら、実はお正月3が日以外は一年中研究しながら、寝る間を削ってバイオリンを練習してたこと…。
目的を果たすためにありとあらゆるアプローチを行うその姿は「はやぶさプロジェクト」が次々と襲いかかる絶望的状況を、決して諦めず、できることからひとつひとつクリアすることで帰還を果たしたことに重なり、なんとも言えない気持ちになりました。
できすぎた話とおもっていたけど、きっとこれは必然で、糸川博士のDNAは「はやぶさプロジェクト」に脈々と受け継がれていたのですね。
長い時と様々な人の強い強い想いの積み重ねの上に、今回の帰還プロジェクトは実現した。
そして、帰還後、事業仕分けで大幅削減された予算が”奇跡的に”復活。
研究続行が決まりました。
そんな奇跡のリレーがきっと私たちの胸を打つんだと思います。